fc2ブログ

生死と舞台芸術

IMG_0339_201807111119096ae.jpg

 あるヒトに話を聞いた。私の解釈も含めて、再現してみると。こんな感じ。
 映画を含めて舞台芸術では死を取り扱うように思う。いつかは死ぬから。能の複式夢幻能という形式もそう。幽霊は成仏できないんだけど、その理由は現世で辛いことや悲しいことがあってそれを忘れられないからってことだ。どうすれば忘れられるのか。それをもう一度皆の前で「演じて」みることで、それを終わりにできるということらしい。もう一度体験すれば、いいのか。他人に共感してもらえればいいのか。そのあたりはまだ分からないけど。
 悲しみの感情、恨みの感情を抱えているのが幽霊ってことだから、そんなネガティブなものがうようよいては、そんな現世はよろしくないので、それを弔うために演劇も機能するというのだ。
 そうならば、私は幽霊にならなくて済みそうだと思う。反省や後悔はあるけれど、もうそこまでの悲しみは既に抱えていないようだ。それは妻や子どもという家族のおかげだと思う。お盆を迎える前にいい話を聞けたなあと思う。盆踊りは単調なものが続くけど、それは幽霊がヒトの間に入って踊っているかららしい。ずっと死んでいるから、忙しい踊りは疲れてできないんじゃなかろうか。

 今日のお弁当は玉子フライ、大豆ミート?、酢キャベツ、モロッコインゲン、トマト、シラスの佃煮です。揚げ物ががあるから重量級かというと、そんなことはな、野菜が多いので、さっとだべてしまいました。おいしかったです。ご馳走様でした。

 今日は定時上がりだから、それまでしっかりやろう。さっきの人は日本の生死観というか、能における生死観という形式で、海外の戯曲の演出をしているみたいだ(いつもそうか否かは分からない)。 プロポーザルで使えると思う。たいへん勉強になった。
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ひけめっこ

Author:ひけめっこ
家族を愛する中年男性が愛妻につくってもらうお弁当を紹介していきます。

月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター